2011年8月1日月曜日

ドキドキさせてくれる人生の贈り物

大好きな本です。



母の最後のエッセイ集「人生の贈り物」は、本人が自分へプレゼントしたものや旅先で見つけたもの、友人にいただいたものなどがたくさん紹介されている一冊。紹介されている一つ一つのものには歴史やストーリーがあったり、自分にとって深い意味を持っていたり、ときめきを感じさせてくれるものばかり。
私や妹達に遺してくれた宝物のストーリーが分かると母にとって大切であったもの達が私たちにとってもますます大切になります。

モノがただ美しいだけではなく、深い意味や思い出、物語があるからこそ使うのも楽しくなる。そういったものってたぶん、自然に自分に「似合っている」のだと思います。意味があるからなんとなく自分の人生や生活の中に深く染み込んでいるような。そして意味があって、自分に似合っているからこそ上手に使いこなせるのではないでしょうか? この本を読むたびにそう思います。紹介されている全ての「贈り物」がストーリーを持っているだけではなく、持ち主であった森瑶子という一人の女性のことも語ってくれているような気がします。

2006年、作家デビューから30年を記念して開催した森瑶子展では
本人が何度も着たアンティークドレスを展示。
その時にドレスのストーリーも一緒に展示することができたのもこの本のおかげ。
今は展示会のバイブルでもあります。

持っているものが、良い意味で自分のことを語ってくれるとはとても嬉しい。それだけ自分に似合っているということなのでしょう。 確かに、「そのバッグ、ヘザ―さんらしいですね」など、何か好きなものが自分らしい、似合っている、と他人に言われるとちょっと嬉しいですよね。 

エッセイや小説で森瑶子はよく「ドキドキ」といった言葉を使っていました。彼女が好きな言葉の一つだったのかもしれません。 恋愛でのドキドキばかりとは限らず、「人生の贈り物」ではモノに対してのドキドキのことも何回か書いてあります。

「旅の先々の土地との出逢い、人々との出逢い、そして美しい物たちとの出逢い。ドキドキするような、ミステリアスな出逢いがある」



「美しいものをただ収いこんでしまったり、飾っておくだけなのは嫌だ。
それくらいなら買わなければいいと思う。
どんな高価なものでも、実際に身につけるし、使用する。
そんな時胸がドキドキするほどうれしいのだ」

このドキドキというのが大切なのかもしれません。
ドキドキするほど好きなものばかりに囲まれて暮らしたい、といった気持ち。
ドキドキさせないものは場所とお金とエネルギーの無駄だったりするのかもしれない。

ここで森瑶子はきっと「男性だってそうよ。ドキドキさせてくれない男の人と一緒にいるのも時間とエネルギーの無駄なのよ」ともうひとこと言うに違いありませんが、それはまた全く別な話題なので横に置いておきましょう。
確かに母が言いそうなこの一言、まったくそうだと私も思いますが。

ドキドキさせてくれるのは高価なものや旅先で見つけた珍しいものだけとは限らないと思います。お料理をするお玉一つでも、適当に買ったものではなく、素敵だったり、かっこいいお玉だったら使うのが楽しくなる。どんなに日常的な小さなものでも手にとった時にドキドキまでいかなくても、心の中で微笑えんでいるような気持ちになれると暮らしも楽しくなるはず。

森瑤子の華やかでロマンティックな世界から毎日使うお玉といったあまりにも日常的な世界へ話が行ってしまいましたが、どんな世界でもやっぱりドキドキとか、トキメキとか、そういったものがあった方が絶対に楽しいはず。全てのものが人生の贈り物であるような。お玉ひとつであっても。