2011年8月22日月曜日

読めるテーブル


インテリア雑誌が最近だんだんたまってきていつの間にかサイドテーブルやオットマンになってしまっていました。

これでもほんの一部

でもサイドテーブルやコーヒーテーブルなど、何も4本脚の「テーブル」を使わなければいけないといった決まりはなく、雑誌やインテリア本でもバスケットやオットマンを使ったり、古い木箱を使ったり、さまざまの形での「テーブル」が見られます。 たまにはインテリアで予想外のことをしたり、ルールを破ったりするのはお部屋に個性や面白味を出すための大事なことだと思います。



かなり昔(もう20年前ぐらいかもしれません)ある雑誌の記事で、ジャッキーケネディ・オナシスが暮らしていたニューヨーク5番街のアパートにはあらゆる場所に本があった、と読んだのがとても印象的でした。テーブルの上、下、床に山積みにされていたり、サイドテーブル代わりに使われていたり、本が大好きなジャッキー夫人のアパートはとにかく本だらけだったそう。 でもどれだけ本だらけでもジャッキー夫人のことなのできっとそれがとても素敵だったに違いありません。

本好きな私はこの話にかなり刺激をうけ「本と暮らす」楽しみを覚えました。

素敵な雑誌も「本」のうちに入りますよね。

多くの雑誌はコラージュをつくるワークショップのために使っています。自分で買ったり、友人に分けてもらったりしました。ワークショップでは大量の雑誌が素材として必要なので捨てられずたまる一方。

でもしまう場所がなく、と言うよりも、しまう場所をつくる気になかなかなれず、前回のワークショップからずっと書斎の床に積み上げられた状態。

気がつくとアームチェアの横のサイドテーブル代わりになっていたり、オットマン代わりにまでなっていたり(あー!なんてお行儀悪い!)。

下の箱の中にもまだ雑誌が。
クッションをのせたらオットマンです。
(下の黒いのはぐっすり眠っているベイリーの足)

「なんとかしなきゃ」「しまう場所を作らなきゃ」と思っているうちにこうなってしまったのですが、実は全然違和感がありませんでした。ジャッキー夫人スタイルでいい感じじゃない!と思ってとりあえずそのままに。

2011年8月12日金曜日

ベッドルームのプチリフォームに向けて


そろそろ寝室の壁を塗ろうかと思っています。

寝室は半地下にあり、ある程度自然光は入ってくるものの、基本的には暗い。現在は11年前に引っ越して来た時から変わっていなく、白い壁紙が貼ってあるのですが、もともと暗いせいか、白でもあまりきれいに見えません。光を反射しているというよりも吸収してしまっているような、どんよりとした味気ないグレーにしか見えません。
どうせ暗い部屋なのだから暗くてもきれいに見える色にしたいと思って長い間カラーチャートを見ながら悩んできました。



暗いからと言って無理矢理明るくしようとは思ってはいません。明るい、奇麗な白を見つけて少しでも開放感を出そうとか、そういった気持ちもなく、逆に、色がきれいで落ち着いた雰囲気になるのであれば暗くても良いのでは、と思っています。一日過ごす書斎やリビングとは違うので寝室は思いっきり違った雰囲気にしてもいいかもしれない、と。ちょっとミステリアスな、洞窟っぽい、他とは違う何となく神秘的な世界にしたい、と。 多くの野生の動物は洞窟や穴に入って冬眠するのだから人間もきっとそういったような場所だと良く眠れるのでは?? と勝手に思ったりもしています。 とにかくホッとするような場所にしたいです。

今考えているのはグレーっぽい色。 

それだと、他の部屋とどう変わるの?と私をよく知っている人は思うかもしれません。 リビングでもすでにグレイッシュな色2色使っているし。

自分でも最初はそう思ったのですが、グレーの種類はたくさんあるし、その空間や光の入り方によってグレーの見え方も大きく変わってくるので逆にリビングと同じような雰囲気になってしまう、と心配はしていません。また、リビングは温かみのある感じなのと反対に寝室はちょっとクールな感じをイメージを想像しています。 やっぱり洞窟かな? でもそれって、毎日があまりにも暑いから今はそう思ってしてまっているのでは? 確かに、今すぐにでもひんやりした洞窟に入りたい気持ちはなくはありません。 でも一年中使う部屋なので冷静に考えないといけませんね。

寝室は特に自然光が限られている暗いスペースなので少しでも間違えるとグレーがただ汚く見えてしまうのが一番怖いのでかなりのチャレンジかもしれません。

でも、カラーチャートを見ると同じグレーでも、明るいグレー、暗いグレー、クールなグレー、温かみのあるグレー、ちょっと紫がかったグレーからベージュっぽいのまで、グレーっぽい色が100以上もの種類があるのです。 その中から全ての条件を満たすパーフェクトなグレーを見つけるのがこれからとても楽しみです。


2011年8月8日月曜日

Feel the Summer


エアコン嫌いの私は窓を全部開けたまんまで自然の風と扇風機を頼りにする日々がこれから続きそうです。そして頼りにしているもう一つのものが「ソーダアイス」のアイスキャンディー。冷たくて、さっぱりしていて、かなり救いになってくれています。


先日スーパーでまたアイスを買いに行ったら「ピノ」の35周年特別パックを発見。種類の中のミント味に惹かれてこれも買ってしまいました。夏はやっぱりさっぱり系ですよね。

インテリアも少しだけ「さっぱり」を出すようにしています。暑い中、涼しさを感じるような素材や色をなんとなく取り入れると気持ち的に大きく変わります。

夏と言えば海。想い出深い与論島で見つけた貝を飾りました。
海岸で見つけたり、お土産屋さんでみつけたり、パーフェクトなのとちょっと色あせたものやかけてしまったのをミックスして。


オブジェとして飾ったり、キャンドルホルダーとして使うことも。この形の貝、ソープディッシュとしてや洗いものをする時にジュエリーをちょこっとのせるのに便利で我が家では結構活躍しています。


海岸で拾った一番のお気に入りがブルーグリーンのガラス瓶の底の部分。
ビーチグラスはたくさん落ちていても、このようないい形のは初めてでした。
長年波に揉まれていたせいか、形がゆがんでいて角も完全に丸くなっていました。
透明感のあるエメラルドグリーンは与論の海と同じ色。


なんと、大がキャンドルホルダーにぴったりでした。


色は涼し気できれいだし、形もおもしろい、そして実際に使える「ゴミ」でした!
意外なところにおもしろい宝物は落ちているんですね!

2011年8月1日月曜日

ドキドキさせてくれる人生の贈り物

大好きな本です。



母の最後のエッセイ集「人生の贈り物」は、本人が自分へプレゼントしたものや旅先で見つけたもの、友人にいただいたものなどがたくさん紹介されている一冊。紹介されている一つ一つのものには歴史やストーリーがあったり、自分にとって深い意味を持っていたり、ときめきを感じさせてくれるものばかり。
私や妹達に遺してくれた宝物のストーリーが分かると母にとって大切であったもの達が私たちにとってもますます大切になります。

モノがただ美しいだけではなく、深い意味や思い出、物語があるからこそ使うのも楽しくなる。そういったものってたぶん、自然に自分に「似合っている」のだと思います。意味があるからなんとなく自分の人生や生活の中に深く染み込んでいるような。そして意味があって、自分に似合っているからこそ上手に使いこなせるのではないでしょうか? この本を読むたびにそう思います。紹介されている全ての「贈り物」がストーリーを持っているだけではなく、持ち主であった森瑶子という一人の女性のことも語ってくれているような気がします。

2006年、作家デビューから30年を記念して開催した森瑶子展では
本人が何度も着たアンティークドレスを展示。
その時にドレスのストーリーも一緒に展示することができたのもこの本のおかげ。
今は展示会のバイブルでもあります。

持っているものが、良い意味で自分のことを語ってくれるとはとても嬉しい。それだけ自分に似合っているということなのでしょう。 確かに、「そのバッグ、ヘザ―さんらしいですね」など、何か好きなものが自分らしい、似合っている、と他人に言われるとちょっと嬉しいですよね。 

エッセイや小説で森瑶子はよく「ドキドキ」といった言葉を使っていました。彼女が好きな言葉の一つだったのかもしれません。 恋愛でのドキドキばかりとは限らず、「人生の贈り物」ではモノに対してのドキドキのことも何回か書いてあります。

「旅の先々の土地との出逢い、人々との出逢い、そして美しい物たちとの出逢い。ドキドキするような、ミステリアスな出逢いがある」



「美しいものをただ収いこんでしまったり、飾っておくだけなのは嫌だ。
それくらいなら買わなければいいと思う。
どんな高価なものでも、実際に身につけるし、使用する。
そんな時胸がドキドキするほどうれしいのだ」

このドキドキというのが大切なのかもしれません。
ドキドキするほど好きなものばかりに囲まれて暮らしたい、といった気持ち。
ドキドキさせないものは場所とお金とエネルギーの無駄だったりするのかもしれない。

ここで森瑶子はきっと「男性だってそうよ。ドキドキさせてくれない男の人と一緒にいるのも時間とエネルギーの無駄なのよ」ともうひとこと言うに違いありませんが、それはまた全く別な話題なので横に置いておきましょう。
確かに母が言いそうなこの一言、まったくそうだと私も思いますが。

ドキドキさせてくれるのは高価なものや旅先で見つけた珍しいものだけとは限らないと思います。お料理をするお玉一つでも、適当に買ったものではなく、素敵だったり、かっこいいお玉だったら使うのが楽しくなる。どんなに日常的な小さなものでも手にとった時にドキドキまでいかなくても、心の中で微笑えんでいるような気持ちになれると暮らしも楽しくなるはず。

森瑤子の華やかでロマンティックな世界から毎日使うお玉といったあまりにも日常的な世界へ話が行ってしまいましたが、どんな世界でもやっぱりドキドキとか、トキメキとか、そういったものがあった方が絶対に楽しいはず。全てのものが人生の贈り物であるような。お玉ひとつであっても。